演劇を見る場所
プロデュース公演『真昼の薮』の金沢公演の会場となったKappa堂は、金沢の飲み屋街、新天地の端にあり、間口2間ほどの狭い場所だった。
氷見では、ショッピングセンター内のテナントが抜けた空きスペースを利用する。
何度か劇場を利用したしたものの、血パンダはこれまで一貫して劇場でない場所で演劇を上演してきた。
劇場で用意されている空間は確かに便利だし、十分刺激的ではあるものの、劇場ではない場所での演劇の上演は、来場し、演劇を見るまで、見た後の体験全体について、劇場よりも心にひっかかるものが多い様に思う。
会場に来るまでは、「劇場じゃないのに演劇ができるのか」「本当にこんな場所で演劇をやるのか」。
演劇が終わってからは、「今見たフィクションはなんだったのか」「立ち上がって会場を出るまでもなく、ここは劇場ではない。では、自分が体験したのは……」というところまでをセットにして、この体験を誰かに説明する口を、必要以上に重くしたいと考えている。
フィクションに掴まれて、フィクションから放り出されるまでの体験とでもいうのだろうか。どちらにせよ、詳細には記憶できないものに浸される時間を、どの様に扱うのか、扱ってもらうのかということだ。開演から終幕までではなく、全ては告知が目に留まったところから始まっている。
血パンダとしては告知も最小限、上演する演劇のあらすじを前もって伝えることもなく、上演に先立っての前説もなければ、一応、終幕時に舞台に残っている役者が一礼して退場はするものの、カーテンコールもない。そういう、つっけんどんな状態にしておきたいと考えている。
「どうやって興味を持ってもらうのか」ということはあるかもしれないが、田舎で、専業でない劇団の演劇を見るという観劇習慣を広めることと、劇団血パンダのプロモーションや、演劇活動の永続化は別物。なにはともあれ、作品と現実との接点を各々の中に求めてもらえる形になっていれば良いので、不意に始まってなんとなく終わる。何かのもっと続いていた、続いていく話しの切り取られた一部を見せられた様な気持ちになってもらえればと考えている。
公共の劇場、劇場として固定された場所での観劇に慣れていれば、血パンダを見た後には、なんとなく普段の現実に戻るルーチンを掴めないまま放り出される感覚も味わってほしい。
今回上演した『真昼の薮』にとっては、Kappa堂もハッピータウンも最適な場所で、Kappa堂は、辿り着けるのか、店を出てしまえば誘惑も多いので、すんなり帰れるのかわからない場所。
ハッピータウンは劇場という以上に、会場自体がそのままリアルな現場としての借景が完璧で、劇場でない場所で何かを目撃して帰るという体験に最適だ。
演劇をあまり見たことの無いみなさんにも奇妙な体験を、観劇慣れしたみなさんにも、何か新たな発見をしていただければと思う。