『明日のハナコ』稽古佳境。

2022-02-18更新 [author:      

「高校生向けだなぁ」という当初の印象を撤回します。読みが浅かった。

稽古が進んで、『明日のハナコ』の台本を、高校生の代わりにではなく、大人として演劇に立ち上げるところまでたどり着くことができた様に思う。
恐らくは、高校生には持ち得ない内面を抱えてセリフを発声できるところまで行き着いたので、高校生にはできないハナコになる。
なんとかこぎつけたという、この感触をなんだろうかと考える。
とるものもとりあえず、上演することが応援で、応援することが目的だと考えていたものの、いざ稽古始めてしまうと、ただの莫迦なので手加減とかできなかったわけだけれど、そもそも、「こんなものかなぁ」と斜めに読んでいたのではないかという気がしていて、もう3週早く稽古にかかっていたらと、少し悔しく思っている。
到達できた地点がこれで十分なのか、ひょっとしたら、もっと先があるかもしれないという気はしているが、今回は、ここが精一杯だ。

ところで、血パンダの団員が高校演劇に詳しい教育系の筋から興味深い話しを聞き込んできた。
ネタの提供者は、そもそも両親が結構な左サイドなので、社会問題がいろいろな風に取り上げられることには普通の皆さんよりも免疫があると自認していたものの、数年前に福井農林高校が高校演劇の中部大会に出場した作品には、ここまでやるのか!と、度肝を抜かれたそうだ。玉村先生の作品だ。
県大会を突破して中部大会までいった台本ということで、ちょっと生徒にも勧めてみようか……。と、思いはしたものの、いざとなると実行を躊躇してしまったとのこと。
「今回の件は、玉村先生ご本人が退職しておられるのが大きいんじゃないでしょうか」
とか、まぁ、なんにしても福井の組織は今、グダグダだと思って見られている模様。

身内に走っている人間が居る間はどこまでも走らせ、それが抜けた途端に方向性が変わる組織を構成しているのが、若者を預かる教員ってことなんだが、進級、卒業していく高校生と違って、福井で高校演劇に関わってきた大人として、何を見て何を考え、何を学んできたのか、それそも、どういった理念でルーチンをこなしていたのかは、この際極秘でもいいから、高校生相手にだけでも、つまびらかにしてあげてほしい。
正直に腹の底から「大人は大変なんだ」とだけでも言えたら、同情してくれる生徒と、こうはなるまいと思う生徒にぐらいは分かれるだろう。良し悪しはさておき、若者のロールモデルになるというのは、大人にしかできない大切なことではあるまいか。

教員からの悪質な抑圧に拘うなんて時間の使い方は、高校生にはして欲しくない。大人の様子を横目で見ながら、各々の行く末に向かって突っ走って欲しい。
来し方を振り返れるのは大人だけだ。そこを踏まえた現在について、たまにはしっかり考えたらどうだろう。もう昭和が終わって久しいので、従来のマッチョさを意識する必要はない。
踏み潰したくなる気持ち、これまでを全否定しなければならない気持ちは、大人なら少なからず持っているのではあるまいか。
何を目標にして何処に至ってしまったのか。改めて問うてみてほしい。

そういった問いの声を、『明日のハナコ』の上演を通じて演劇の力で広められないものだろうか。原発問題だ、個人批判だと、そういうトピックに注目して消費もできる事案になっていることは確かで、私も、『明日のハナコ』に目がいったきっかけはそこだ。
しかし、『明日のハナコ』は、大人が大人向けに上演して呼吸を浅くさせる様な力加減が存在していたので、なんとなく触るに触れないなぁと思いながら見ている全国の演劇な衆に報告しておきたい。
そんな演出が可能で、こちらでは、十分に成熟した役者の脳が記憶との戦いに突入している。
そんな稽古場が今地上にあるというお知らせでした。まもなく上演です。